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第6回「学生スポーツとコンプライアンス」討論会

   
コーディネーター  宮野  正喜  立命館スポーツフェロー事務局長
パネリスト   佐久間 春夫  立命館大学学生部長(スポーツ振興担当)
                   スポーツ健康科学部 教授
         森田  恒雄  立命館スポーツフェロー副会長
         正徳  孝夫  立命館スポーツフェロー常任理事
         影森  稜馬  立命館大学体育会 自動車部 3回生
         松田    彬  立命館大学体育会 バドミントン部 2回生 
 2013年(平成25年)
9月28日(土)
立命館大学衣笠キャンパス 

宮野事務局長
 今日は、1つテーマを決めて議論したいと考えています。昨今、新聞紙上を賑わしています我々にとって一番身近で難しい問題、「体罰」というものです。少し皆様方と議論して、結論は出ないかもしれませんが、それがどういうものであるか、それを学生生活、クラブ活動に活かして行きたいと考えておりますので、よろしくお願いします。

佐久間学生部長
 私自身、長く指導者としても選手としてもそうなんですが、幸いなことに体罰の経験はないのですね。しかし、ある体育系大学の調査では4割の人が体罰経験あるのですね。そして受けた人の7割が肯定的に受け止めているのです。その状況というのが大きな要因なんですけど、受けたことによって、どういう風に受け止められたか、当然そこには、コーチと選手の人間関係が大きな意味を持つと思うのですけど、肯定的に受け止めている人の特徴としては、真面目な選手が多いのですよね。私は真面目さというのはある意味危険な要素を含んでいると思います。それは自立性だとか主体性だとかがなくて、ただ言われたとおりにする。要するに自尊心がない、自分の意見も持っていない、自分の考えもない、そういう意味で非常に怖いということです。体罰とは明らかに暴力ですよね。時代的な背景もあります。我々の頃はクラブでなくても学校生活で何かあると先生に殴られた。目の前で歯が折れるくらい殴られた同級生がいたわけですけど、それでも親は「ご迷惑をおかけしました」と菓子折を持って先生のところに誤りに来たという、そういう時代もあったのですよね。教師からそういう指導を受けるのは、自分の子供がいけないんだという認識があったのですが、今では人権意識が全く違うですよね。こういった時代的な背景もあるし、人間関係もあるのですね。これ女子選手の特徴なんですけど、体罰を受けたことによって、それを好意的に受けて、この指導者は私のことを本当によく思ってくれているんだと、ある種の幻想ですね。
 本当にとんでもないこと、命を落とすことになるんじゃないかと、何が何でも制止しなければいけないということ、そこには私は暴力と言えるのかわからないけど、力の行使というのは当然あってしかるべきだと思っています。
 ですから状況、人間関係を含めて、ある意味ではやむを得ないということもあるかもしれないけれども、原則としてはいけないことですよね。どうしても殴りたくなったら指導者は選手の手をつかめ、そこで言葉を掛けろ。まず言葉です、指導者の一番な要素は言葉で、聞くということから始まるのです。

森田副会長
 2020年に東京オリンピックが開催されますが、これからスポーツ関係は、競技力の向上というのがやまかしく言われると思いますね。その競技力を向上させるためには、体罰であるとかというと、世界的に言えばドーピングなんですよ。これなんか日本の競技者は、まだドーピングというものを甘く思っているようですね。今では風邪薬を飲んでも成分の中にドーピングに違反するというものがあるのですね。ドーピングに対して非常に厳しい競技団体の監督、コーチ、選手は気にはするのですけど、そういうものがあまり言われない競技団体は軽く考えているのじゃないかなと思います。ドーピングということを頭においてほしいなと思います。
 その競技力を向上させるために、厳しい練習、稽古をさせていくわけなんですけど、その厳しさが体罰に当たるか当たらないか。私の経験で言いますと、学校とは建前と本音があって、これはどこの社会でもあることですが、建前と本音があって問題が生じた時には、建前が勝つのです。問題が生じたときは建前なんです。「うちの子たたいてもいい」「先生、親の分までやって」と言ってても、何か問題が生じたときからっと変わるのですね。「先生が殴るとはなんだ」と学校への抗議や、その先生への抗議や話し合いというのはまだしも、本人を飛び越してマスメディアであるとか警察であるとか、教育委員会であるとかにいくということが最近は多いんです。そこへいってしまったら、裁判ということが頭の中に入ってくるものですから、不利なことを言わないとか、これ隠蔽にも関わってくるのですね。不利な事を言わない。言わないからそれを隠しているということで問題がこじれていってしまうというようなことがあるのですね。日ごろの人間関係、信頼関係というようなものがないと、体罰というものは問題化するので、だから体罰はしてはいけないということを心底思っておかなければ、そんなつもりでやったことではないとか、この子供のことを思ってやったことなんだ、選手のことを思ってやったことなんだと言っても通じないのです。ましてやそれが自殺というような行為になった場合は、そんなことを言っても通じない。まさか死ぬと思っていない、殴られる方にも問題があるのだ、いじめられる方にも問題があるのだ、だから体罰もいいじゃないか、差別もいいじゃないか、というふうにはならないのですよ。その子にいかなる理由があっても暴力はいけないということを肝に銘じておかないと、その時の感情で暴力を振るってしまうということがあるのです。だから日ごろから人権感覚を身につけておかないと、その瞬間にやってしまうのです。人権というのはほったらかしにしていると、自分も人権が侵害されているということに気がつかないということもあるのです。だから常に心にして置いておくということが、そういう問題を事前に防げるということに繋がるのではないかと思います。 

正徳常任理事
 マナーでいろんなトラブルがなくなるという話をしましたけれれど、体罰問題についても同じと思っています。なぜかというと、はやりマナー、礼儀作法にしても、心は相手に対する思いやりなのですね。思いやりを持って指導すれば、体罰というようなことは絶対にできないですね。指導者と被指導者、先輩と後輩、相手とのお互いの信頼関係ができておれば、体罰なんか起こるはずがない。
 私の柔道部の経験でいいますと、体罰というのは全く記憶がないです。ただあるのは、自分がしんどくなってふらふらになった時に、竹刀を持った道場監督という先輩が近寄ってきてお尻をパンとたたくのですね。現在とは感覚が違うかもしれませんが、これは私は全く体罰とは思っていません。投げられた時に下手な受け身をすれば骨折や怪我をします。そういう意味で気持ちを入れてやれよと言ってくれて私は感謝をしています。気持ちが違えば行動も違うのです。心と行動を考えてきちんと指導していけば、お尻をたたいたから暴行とはならないです。

影森 稜馬 自動車部 3回生
 体罰というのは、どこから体罰なのか、何をしたら体罰なのか個人で認識が違うので、クラブ活動で指導する時は、体罰ではないかという意識を常に持っています。

松田  彬 バトミントン部 2回生
 どこから体罰かというのは難しいけれど、相手がどう感じるかということで体罰か体罰でないかが変わってくると思うので、相手のことを考えて行動したいです。  

受講生(男子学生)
 自分は体罰は受けたことはないですが、スポーツを好きでやっているのに、それを受けたことで嫌いになってしまうのはいやです。 

受講生(女子学生)
 体育会には体罰があって当たり前だと思っていたのですが、体育会の当たり前が問題になっていると思うので、愛のムチと言われているものについても、もう一度見直す必要があると思います。

受講生(男子学生)
 自分は体罰とは必要だと思います。行き過ぎた体罰は駄目だと思いますが、精神力を鍛えるためには、それなりの体罰、指導は体育会なので必要だと思います。

受講生(女子学生)
 理不尽な体罰は駄目だと思うのですけど、悪いことをした本人が口で言っても分からない時には体罰をしてもしかたがないと思っています。すべての体罰が悪いことはないと思います。

森田副会長
 人間関係とか信頼関係の上に立っての愛のムチならば問題はないのですね。監督やキャプテンや上級生に、その選手の潜在能力をこうしたら出るというような観察とか分析があって、人間関係があるならば何ら問題がないのです。足の速い者もいれば遅い者もいる。太っている者も痩せている者も背の高い者も低い者もいるのです。だから能力というものは別々にあると思いますね。その能力を見抜いてやるというのには観察と分析が必要だと思います。部活動が健全でなくて稽古しないとか稽古に遅れてくるとか、試合をしているにも関わらず体罰が伝統になっているようなクラブはそれで終わりじゃないかと思います。体罰が必要なんだというような考えは、今後どこかで改めていくほうがいいと思います。この時勢の中においてそれを肯定してしまうというようなことは、問題を拡大してしまうようになると私は思います。

佐久間学生部長
 森田副会長がおっしゃったとおり、本当の意味で指導者が後輩や学生をきちっと分析しているのならば、それを言葉で言える。言葉で言えないということは指導能力のなさです。人の上にたって教えるという立場になったら必死になって勉強しなさい、必死になって指導を受ける側の良いところをまず見つけてあげてくださいと、指導者の会議でいつも言うのですけど、森田副会長がおっしゃたのはまさにそのとおりです。
 体罰とは絶対やってはいけない。でも、放っておけば大きな事故につながる場合はある程度の力の行使はやむを得ないのが私のイメージですね。

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