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第6回「学生スポーツとコンプライアンス」講演会 

  
佐久間 春夫
立命館大学学生部長(スポーツ振興担当)
スポーツ健康科学部 教授
 2013年(平成25年)
9月28日(土)
立命館大学衣笠キャンパス 

 この会を開催していただき、スポーツフェローの先輩の皆様に感謝申し上げます。皆様には非常に物心両面に渡って多大なご支援ご尽力いただいています。ぜひみんな感謝申し上げてください。各体育会クラブは、スポーツフェローのご支援がなければ、これまでのような活動ができないということが多々あると思います。今日の懇親会でスポーツをやることの意義というものを是非学んでもらいたいと思っています。

 コンプライアンスは人としては当たり前のことです。本学では幸いありませんが、他大学ではいろんな不祥事が起きています。もう一度、学内生活でのモラルを考えてもらわなければならないと思います。
 末川博先生の「未来を信じ未来に生きる」、非常にいい言葉ですね。今ここでできることは何なのか。今を一生懸命生きることが未来につながるわけです。コンプライアンスの一つとしてタイムマネージメントというのがあります。時間管理をしっかりやる。今はみんなは自分で時間をコントロールできる人生の中で一番良い時代を生きている。卒業して勤めたら自由な時間はとれない。だからこの自由な時間を自分の専門の勉強、体育会クラブの練習にあてていく、それが卒業後の人生につながっていく、非常に意義があるのですね。

 コンプライアンスとは難しいことではない。ようするに法令遵守です。それは暴行だとか恐喝だとか交通違反だとか、あるいは今、柔道連盟の問題なんかもあるわけですけど、そういった反社会的な行為だけではなくて、ルール、マナーなどを遵守することがコンプライアンスなのです。だから、もっと言えばTPOをわきまえないとか空気が読めないことなどは、ある意味では法令意識に欠けるということに通じるわけです。私は電車で奈良からびわこ草津キャンパスまで通っているのですが、時々目にするのが、電車の中で体の大きいクラブの者が、自分たちだけのために電車があるように、大きな声でしゃべっている。謀略無人な態度ですね。座席を占有している。それが立命館のユニフォームを着ている。こういったものを目にすると、社会的なステータスが非常に高い立命館大学として嘆かわしい。みんなには立命館大学の学生という、いい意味でのエリート意識を是非もってもらいたい。いい意味でのプライドを持てば立命館大学の学生としてこんな恥ずかしいことができるのか、それがあれば失敗するということもないと思うわけです。

 もうひとつ、これはそれぞれのクラブの指導者、大学、学生部もそうですけど、こういったことが起こらないように、普段からどういった取り組みがなされているのか、組織マネージメント一つの方法です。大学の理念を是非大学のホームページを見てください。歴史もいろいろ触れてあります。その中で立命館は教育、研究および文化、スポーツ活動を通じて信頼と連帯を育み、地域に根ざし、国際社会に開かれた学園づくりを進めます。そしてみんなはこれを担う責任があるのです。義務があるのです。このことをしっかり自覚するように。スポーツ活動を通じて、信頼と連帯を育む。地域に根ざしてグローバルな意味で活動してほしい。そして2つ目として、建学の精神というものがある。附属高校を含めて立命館学園は、自由と清新の建学の精神、平和と民主主義の教学理念、高等教育機関として今日の新しい社会の要請に応える努力をしてきたのです。クラブもただ漫然と同じような練習をしても駄目だということですね。自分たちで工夫していく、こういったことも日ごろから是非努めてもらいたい。学則も読んでもらいたいのですが、特に建学の精神の目的ですね、確かな学力、豊かな個性を花開かせ、正義と倫理をもった地球市民として活躍できる人間の育成に努めます。先程言った建学の精神、教学の理念、確かな学力ですよ。立命館大学の学生として恥ずかしくない学力、その中でスポーツをする。その中で個性を花開かす。

 それに反した場合、学生懲戒規程がありますが、犯罪行為、それから重大な交通違反、ハラスメント、いじめ、体罰なんかもそうですね。それからカンニングなどもってのほか。学習や研究を妨害するような行為、試験における不正行為、その他学生の本分に反する行為ということになると思います。普段普通の生活を送っておれば、意識することはないと思うのですけど、スポーツ界の常識は社会の非常識とよく言われてます。よく馬鹿が付くくらい丁寧な挨拶をする体育会学生がいる。先輩が来たからと言って周りの迷惑を考えないでその場で止まって大きな声を出したりして。先輩の荷物を必要以上に持って、それも捧げるようにして持ったりして。

 スポーツ界でもいろいろとニュースになってます。体罰だとか違法薬物、こういった行為は、自分が罰せられるだけではない。みんなは立命館の看板、歴史と伝統を背負っているのです。それを忘れないでほしいと思います。先日も天理大学の柔道部の事件、下級生を殴ったりして活動停止になり、さらにそれを秘密にしていたということで、社会的な制裁を加えられています。フェアープレーの精神、スポーツマンシップという言葉に象徴されるスポーツ界で、なぜこのような事が生じるのか。そこに勝利至上主義といのうが背景にある。だから私はこの前のセクションの時にちょっと話をしたのですが、はやり試合に臨む以上は勝ってもらいたい。でも、勝つことは最終でなくて、自分の持っている力を最大限に発揮して、今自分のやるべきこと、責任をしっかり果たすこと、その結果として勝利があるのだと。試合に負けたからといって炎天下を何回もダッシュをやらせて部員が急死してしまったり、似たような事件がこの後もどんどん起きていますよね。罰するのではなくて何が必要だったのか、それを克服するためにはどうしたらいいのか、そういった理解があれば決してこういうことにはならなかった。失敗や負けることを罰する発想からアイデアは生まれない。

 それとリーダのあり方の問題、幹部のあり方の問題。上意下達だけが強いスポーツクラブでは必ずいじめが起きている。それも特定の人間にだけいじめが集中する。これは、いろんな心理学の実験でも出てきます。チームとはどういうことなのか。スポーツ集団には目標があって、そしてそれに向かってみんなで努力してやっていく。その中では、誰がどうやって役割を果たすのか、それが分化となる。そして我々意識、we feelimg。 チーム(TEAM)というのはどういった意味なのか、Togetherの「T」ですね。「E」はEveryone、みんななんですね。「A」はAchieve、目標を達成する。「M」はMore、より多くの。よってT・E・A・Mは、一致団結してより大きな目標を達成する、大きな目標を手に入れる、それが「チーム」なのです。

 クラブでいろいろ問題を起こすというのは、集団規範が必要以上に厳しいわけですよね。服従しすぎる、自分で判断しない、言われたまま、考えない、スポーツの中で一番あってほしくない創造性の欠如。受け身というのは反逆者が出る。それで次ぎに困るのが面従腹背ですね。先輩あるいは指導者に対して「ハイ」「ハイ」と言って従ってる。授業ではどうなってるか。私もスポーツ心理学で200名くらい見てるのですけど、特に体が大きいから目立つのですがダラーっとしている。これが本当にスポーツマンかと言いたくなる。そして眠ったり、パソコンいじったり。要領の良さというのはある程度必要なのですが、それではスポーツマンと言えない。

 先程言ったとおり結果にはそれほどこだわらない。結局、言いたいことは、都合が悪いから隠すということにも出てきます。卑怯な人間が出てきています。結果だけにこだわって、小賢しく立ち回る処世術。かえって全体のやる気の低下、要するに倫理の崩壊というのが見られる。みんなは、今までクラブで努力してきた経験、目標を立てて頑張ることの意義、努力することの意義、これがしっかり身についているのですね。それを基にして、これから新たに学生生活を送っていく上で、新たに挑戦する上でも、勇気をもって臨んでほしい。やはり自立性とは大切です。そして一般学生の是非ロールモデルになってほしい。練習ではあれもない、これもない、あれも十分教えてもらえない、そんな「ないもの探し」でなくて、今ある中で何ができるのか、それを是非考えていただきたい。

 「言葉の力」という東京都知事の猪瀬さんの本ですけど、日本人は集団意識はあるけれどチームワークを発揮できる場面は限られていると。たとえば全員がひもで足首を縛り共に走る30人31脚や、一緒に飛び上がる大縄飛びなど横並びではよい。しかし、サッカーのように個人のそれぞれの判断で、しかも多角的に連動しコミュニケーションするのは苦手である。野球はどうかというと守備位置が決まっているというところが日本人に向いているのかもしれない。言いたいことは分かりますよね。要するに自主的な判断、主体的な行動、自分で考える、こういったのが欠けてるんだと。

 今、スポーツ強化オフィスでは、スポーツ政策を考えています。スポーツを通じた全人教育の推進、スポーツ分野で活躍できる人材育成、スポーツを通じた社会への有為な人材の輩出であるとか、正課と課外の両立、フェアープレーの精神とスポーツパーソンシップを通じた教学理念の具現、、スポーツ文化の普及とスポーツ環境の充実など、そして、スポーツを通じた全ての学生、教職員の健康維持増進。そしてみんなの活躍が、学園のアイデンティティの形成につながる。うちの大学の○○部、一般の学生がそういった意識を持てるように。それから地域スポーツへの貢献、こういったのを考えています。 

 今のを簡単に説明します。全人教育の推進、よく知・徳・体ということを聞いたことがあると思います。私に言わせれば、手・足・頭を使うということです。手とは何を強調しているかというとスキルですよね。足というのは体力です。頭とはそれらのものを上手く使うため考える。こういったものを使っていくと自ずと知徳体のバランスがとれていく。 そしてスポーツ分野で活躍できる人材の育成。みんなスキルとか体力とか身体的な面にばっかり関心がいって、おのずと指導者となると限界が生じてくる。やはりバックグランドの教養がなければいけない。自分たちのスポーツがどういうふうにルール化されてきたのか、その経緯。どういった環境で発生したのか。こういったものを是非学んでもらいたいですね。
 そしてスポーツを通じた国際社会への有為な人材の輩出。やはりスポーツの特徴というのは、容易にグローバル、世界に踏み込んで行ける。ある意味プレーそのものが、コミュニケーションが通じるわけですね。だから、年齢的にも、人種を越えていろんな人に、障害者を含めていろんな人に共有できる、信頼、文化というものなのです。これがスポーツなんだ、こういったのを知ってもらいたい。
 正課と課外の両立、文武両道ということは常に言っています。まずは真面目に授業に出る、教育を受ける、予習・復習はする。そして目標意識をもって日々の練習に励んでもらいたい。そして卒業後、あるいは10年後、自分はどうなりたいのか。そのために今何をすべきなのか。豊たかな社会生活を送れるように、自分の人生をしっかり向き合う。この3つをしっかり考えてもらいたい。
 そしてフェアープレーの精神とスポーツパーソンシップを通じた教学理念の具現ということなんですけど、これはもう強い人が弱い人を助ける、そうした歴史があるわけですね。古代ギリシャの世界史を思い出してもらいたい。はやりスポーツの根底にははルールを守ってお互いに尊重し合う、お互いにリスペクトする。
 スポーツ文化の普及とスポーツ環境の充実。はやり、みんなに活躍してもらいけど、支えているのは、富士山の裾野というか、支援してくれる枠です。みんなには役割としてはロールモデルといいますが、積極的に一般学生に指導に加わってもらいたい。
 それから健康維持増進。これも学園アイデンティティの形成、やっぱりスポーツは、生きる力や、夢、感動を与える。人と人を結びつける作用がある。これはスポーツをやった人間としては非常に誇れる特徴だなと思っています。それを担ってくれるのがみんななのですよね。
 生涯スポーツ。びわこ草津キャンパスの体育館のトレーニングルームでは、一般学生も非常に大勢練習に励んでいます。こういった中でみんなはトレーニング方法なんかを教える。効率を指導する。余裕があったらやってほしいな。肉体は一つの大きな理性であり、それなりの肉体美というか健康美は理性の現れでもある。だから普段の行動が非常に重要で、まさに理性の現れなんですね。地域スポーツもいろんなクラブもやってますね。そんな中からまた、立命館大学のファンが出てくるわけで、同じスポーツをする学生が増えてくる。それを是非みんなにも担ってもらいたい。

 それと体罰、なぜ絶えないのか、一つには、受ける側の意識の問題もあるのです。体罰はまさに暴力そのものですよね。こんな意識のある中では、体罰はなかなかなくならない。
 そして最後に学生生活のあり方なのですが、アメリカの大学の場合は、4段階の評価で「2」以下の人は試合にも出られないし退学にもつながる。スポーツをやる資格はない。本学でも何単位とならければいけないのか、 みんな分かっているね。是非このことをしっかり肝に銘じて、少なくとも単位が少なくて試合に出られないことのないように。個々の選手だけにとどまるわけではない。クラブ全体の評価にもつながってくる。そして、どうしようもなくて退学となると、自分が合格したため立命館大学に行きたいという学生が一人不合格になったということをしっかりと自覚してほしい。文武両道、非常に当たり前の言い方かもしれませんが、学生、選手のあり方はどういったことなのか、やはり学生としては勉強しないといけないわけですよね。そして選手ならばルールを守らなければいけない。もう今日の私のコンプライアンスはこの2つです。
 今言ったことは私と約束したことと理解しています。これが将来につながっていくのですから、是非、これからの学生生活を有意義なものとして頑張ってください。

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