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第11回「学生スポーツとコンプライアンス」講演会 

  
森田 恒雄
元京都市教育委員会
相撲部OB
 2018年(平成30年)
9月8日(土)
立命館大学衣笠キャンパス
 

組織と人格の形成
   
 ただ今は、元阪神タイガースの藤原正典さんのご講演であったわけですが、非常に華やかな世界にいらっしゃって、全体的に目標設定が大切だというお話でした。しかし、私は監督の経験もコーチの経験もありません。相撲部のOBの一人です。

 「組織論」であるとか、「人格形成」であるとか、大切なテーマを与えて頂いてますが、ご期待に応えられるようなお話はできないのですが、私自身が教育委員会にいた、学校の現場にいたという経験から組織についてお話をしたいと思います。

 「組織をどのように是正して行くか」「一人一人の先生方の持ち味をどのように生かして行くか」そうしたことを考えてきました。教育現場における組織のあり方について、それぞれのクラブの部活動のあり方に置き換えて、この話をお聞き願えればありがたいと思います。

 20年ぐらい前のことかと思いますが、NHKで「プロジェクトX」という番組がありました。そこで「ツッパリ生徒と泣き虫先生」というテーマの1時間ほどの放映がありました。伏見工業高校のラグビー部の話題が取り上げられ、何度か再放送もされました。伏見工業高校ラグビー部が全国制覇を果たしたドキュメンタリー番組です。「泣き虫先生」の山口先生は、立派な体育の先生で、荒れた学校を沈静化させた、非常に大きな功績のあった先生です。

 しかし、私はこの番組が放映される度に嫌な思いをしました。伏見工業高校に入学した京都一悪い「ツッパリ生徒」にラグビーをさせ、その生徒がその後しっかりとした生き方をしたという話です。しかし、その生徒は弥栄中学校の卒業生でした。弥栄中学校と言う名前が、放送の中で4回出てきます。良いことで出るのではありません。私がまさにその時、弥栄中学校の管理職をしていたのです。

 私は生徒指導が大変な学校を色々経験してきました。弥栄中学校に赴任した時、本当にこれが学校かと思うような学校でした。管理職が毎年変わり、教職員は2・3年で異動するという状態でした。その弥栄中学校に私は退職まで14年間お世話になりました。自分が立派な教員・管理職だったということではなく、水が合ったのです。人々が嫌だと思うことが嫌でなく、自分に合ったのですね。

 「水が合う」と言うのはとても大切なことです。君たちはそれぞれの部活で、クラブで色々なことをやっていると思います。立命館でスポーツをやりたいと、立命館大学を選んで入学された。そこでも、仲間や先輩や監督やコーチと水が合わないという人もいるでしょう。しかし、「合わせる」ということと「仲間意識」が大事だと、敢えて申し上げたい。「水が合う」ということは、実力以上に自分の力が発揮できる場所を作る。折角入った部活です。自分の希望を達成するように頑張ってほしいなと思います。

 私は中学校の管理職として何を大切にしてきたか。「人権感覚の徹底」です。人間は生まれてきて、如何に努力しても、どうすることのできない不当な扱いを受けることがある。これが差別です。わかり易く言えば、女性差別です。「女のくせに」とか「女性だからだめだ」と言われても、いくら努力をして頑張っても男性にはならないのです。この不当な扱いを敏感に感じ取る力を、徹底して先生方にも教えこみました。

 今の時代、暴力なんて如何なる理由があっても許されないのですが、まだ、依然として体罰はあります。昔あったものは今もある。今あるものはこれからもある。このことを肝に銘じておかなければ必ず失敗します。如何に厳しく自分自身を戒めながらやっても、人間は同じことをする。紀元前の孔子や孟子の教えが、今の社会の中でも通用しています。如何に厳しく自分自身を戒めていても、人間は過ちを犯すことがある。道徳的、倫理的にしてはならぬことをしてはいけない。言ってはならないこと言ってはいけない。君たちは今1回生で、これから2回生、3回生になるのですが、自分が先輩の姿を見て、「こんな先輩になりたくない」と思っていたけれど、その学年になれば、同じことを後輩にすることがあるのです。今あることは、昔もあった、これからもあるということを心にしておかなければ、同じことを繰り返すのです。

 1度の不祥事がその部を廃部にまで追い込む場合があるのです。好きで好きで憧れの立命館大学に入学し、頑張ろうとしても、一人の部員が事件や事故を起こしてしまうと、クラブの存立までも危うくしてしまう。強い選手であろうが、有名監督、コーチであろうが、伝統のある大学であろうが、一つの不祥事で全てを失うということが現実に起こっています。特に、スポーツ界の不祥事は、マスコミに大きく報道されています。OB、OG、監督、コーチは私費・時間を費やして、何とかそのクラブの向上のために必死になって頑張っていますが、不祥事が一度世に出ると、部全体の問題と指摘される。これほど不名誉なことはありません。一瞬にして信頼や信用を無くしますが、それを回復するには長い長い年月が必要となる。廃部になってしまうこともあります。コンプライアンス(法令遵守)は法的に違反することは当然処罰されますが、倫理的な感覚の中においても、言ってはいけないこと、やってはいけないことだということを、肝に銘じて十分に気を付けてほしいと思います.

 そこで、コンプライアンスについてもう少し、分かり易く詳しくお話ししたいと思います。

 皆さんは、高校時代に部活動をやって、優秀な成績を上げて立命館大学に入学した人ばかりだと思います。高校時代のことを情報交換することは決して悪いことではありません。しかし、その中で嘘を言ってはいけません。隠し事と嘘は絶対にいけないと、自らを厳しく律してほしいです。

 まして、学校の先生になろうとする人が、嘘や隠し事をすることは、裏切り行為になりますので、絶対にしてはいけません。このことを、私は管理職として人権感覚と同様にやかましく指導してきました。わかり易く申しますと「見てきたような嘘をついてはいけない。噂話や自分の目で確かめていないことを、断定した表現で言ってはならない」ということです。徹底して指導しました。

 実際、いろんなことをで平気で喋る教員を見てきました。相手が何も聞いていないのに、「うちの地域はこうだ」、「うちの教職員・管理職はこうだ」とか言うのです。また、「前の学校では自分はこのようなことをしてきた」「前の学校ではこのような成果を上げた」と言うような、他人がしてきたことを、いかにも自分が実践してきたような自慢話する教員もいました。これがまさに人権感覚の欠落です。

 もう一つは、「人、物、時」を大切にすることを徹底しました。人の言うこと聞かない者は上達しない。人を、物を大切にするということは物事の基本です。それと同時に「時」を大切にすることが大事です。だらだらと練習をしないで、決められた時間の中、効果が上がるようにやっていかなければならない。そのためには「使命感と情熱」が必要なんです。「使命感」とは、命令されなくても、やらなくてはいけないことを自主的に進んでやるということです。それには「情熱」が伴います。

 「好き」の域で留まっていてはだめです。「好き」なものは「愛」に繋がるのです。物事を「愛」さなければ上達しません。「好き」と「愛」とは違うのです。最初は「好き」の域にあっても、「愛」にならなくてはいけない。

 加えて言いたいのは、「目に見えないものを大切にする」ということです。目に見えるものは、すぐに目立つ。でも、心なんかは目に見えないでしょう。大事なものは見えないのです。それを見ていくことが大切なんです。部活動でも同じことがあろうかと思います。

 社会では「平等」という言葉を安易に使いすぎます。勿論「平等」であることは大切です。しかし、このとき考えてほしいのは、「形式的な平等」と「実質的な平等」の違いです。例えば饅頭が3つあり、3人人がいるとすると、これを平等に分ける場合は、一人に一つずつ分ければよい。しかし、これは「形式的な平等」なのです。3人の中には甘いものが嫌いな者もいれば、好きな者もいる。一番食べたい者に食べさせてあげることが、一番良いのです。「実質的な平等」というのは、必要な者に多く与えていいというのが当たり前なのです。「形式的な平等」と「実質的な平等」はクラブ活動にもあると思います。

 準備運動などで、例えばグランド5周を走れと言えば、早い子も遅い子もいるのです。走ることが苦手な子もいるのです。指導者はそれを認識して、指導していかなければならないのです。

 最後に、「伝統」と「伝承」についてお話します。大切なのは「伝統」という考え方です。「伝統」とは、基本を頑固に守り、変えてはならないものは変えない。時代とか科学的なことを受け入れることです。私たちが学生時代には、カエル飛びを強制的にさせられ、腰が軽くなるから海やプールに入るなとか、水を飲むなと教えられました。今は違うでしょう。水分は取らなければならない、炎症は冷やさなければならない。そして、指導であっても体罰はいけない、暴力はいけないと言われる時代です。だから、変えてはいけないものを頑として守るけれども、変えなければならないものは変えていく。これが伝統なのです。今、起こっている多くの問題は、「伝承」にとどまっていることにあります。ありのままをに伝えるだけでは、「伝承」なのです。「うちのクラブの伝統はこうなんだ」とよく言われますが、「伝承」を「伝統」と誤って理解していないか。考えてみてください。

 このコンプライアンス講習会が始まった10年位前は、大学で年間に5〜6人の体育会系の学生が死亡するという痛ましいことが起こっていました。その以前の30年間で139人が死亡しているというデータもあります。何かというと、一気飲み飲酒の強要が原因なのです。君たちはクラブの中で歓迎や追い出しのコンパをすることがあると思いますが、20歳までは絶対に飲酒してはいけない。後輩に一気飲みをさせたり、飲酒を強要したりしてはいけない。飲酒で命を落とすということが度々あったのです。

 君たちはスポーツを愛して、スポーツの楽しさをこの立命館大学の中で培って、そして、仲間意識を育て、絆を深めていく。それは一生涯続くのです。体育会クラブの仲間というのは、一生涯の友となる。これからの活動を大いに頑張ってほしいと思います。
 

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